紀元前8世紀
紀元前8世紀、ローマ皇帝ロムロスによる『ロムロス暦』は10か月、1か月を30日と31日にし304を1年とした。年の初めは、春。寒い季節の間は暦に入れなかったのだ。こんなおおらかな考えは長く続かない。同世紀末、皇帝ヌマは10月のあとに2か月を加え、1年を12か月とした。月の周期で計算すると、1年は354日となるが、奇数を尊ぶ当時の習慣から355日に決めた。
紀元前153年
紀元前153年になって、3月の前に2か月を置く『ヌマ暦の改革』が行われた。これで7番目の月、SEPTEMBERが9番目の月に繰り下がってしまい、「9月」となったのである。
紀元前46年
紀元前46年、皇帝ユリウスによって用いられた『ユリウス暦』で、1年は365日となり、奇数月を31日、偶数月を30日とした。ところが、のちにオーガスターという皇帝が自分の生まれた8月を自分の名に変え、31日にしてしまった。7、8月と大の月が続くことになり、いろいろ手直しした結果、2月を2日縮めて28日に決めた。こんな皇帝が現れなければ、私たちは今、小の月は「2・4・6・9・11」(にしむくさむらい)などと覚えずにすんだのです。
16世紀
時代はくだって16世紀になると、暦と実際の季節との違いが大きくなった。昼と夜の長さが同じになる春分を、暦の上で3月21日と決めたものの、実際には3月11日が春分となってしまう。そこでローマ法王グレゴリオ13世は「年号が4の倍数の年を閏年」として、調整した。いわゆるグレゴリオ暦である。そして、これまでのズレを改めるために、1582年10月5日の翌日を思い切って10月15日としてしまった。日本でも月の動きを元にした陰暦から太陽暦に切り替えた明治5年、12月2日の翌日を明治6年1月1日にするというあらっぽいことをやっている。時の権力者が勝手に暦を変えたことも多くあった。閏月を自分の都合に合わせて変えたり、月に自分の名前を付けたり。しかし、最高の権力者といえども、結局は自然の営みには勝てず、自然に歩みよる形で暦は改良されてきた。